物語の額縁 静脈に咲く花

紫陽花の道

 ふ、と目を覚ます。

 どうやら、うたたねをしてしまっていたようだった。

 開かれた窓から、暖かな日差しと、雨に濡れたクチナシの香りが髪を撫でていく。

 ライトグレーのソファは、最近お気に入りの場所。

 サイドテーブルに、マグカップとベリージャム。 涼の置いていった、なんだか難しそうな濃い緑の本。 のばした先のカップはすでに冷めていて、紅茶の奥でベリーの塊がゆらゆらと揺れていた。

 それを一口。

 透き通った茶色の奥に、滲む赤。

 カップを傾けて、その塊を喉に落とす。

 酸味と苦み、その奥に粘りつくような甘味が広がる。

「昨日も、よかったな」

 一人の部屋に、やけに声は響く。

 見つめた指先に、歯型の跡。 そこに自分の唇を寄せて、なぞるように舐めてみる。

「……なんも味しないなぁ」

 つまんないな。 と、ソファから立ち上がる。

 時計を見れば、午後の三時半。 カレンダーのバツ印は火曜日にあるから、今日は水曜日だ。 ということは、

「涼、もうすぐ帰ってくるな」

 ふふ、と一人で笑って、ベランダに出る。 干していた洗濯物が並んで空に泳いでいた。 黒いTシャツ、デニム、これは俺の。 グレーのシャツに、さらっとした手触りのチャコールグレーのパンツ。 これは、涼の。 他にも、白と緑と、たくさん。

 それらを全部抱えて、一度ベッドに投げ入れた。

「これはハンガーで、こっちは畳むんだっけ」

 ひとつ、ひとつ、言われていた場所に仕舞っていく。 左側が涼ので、右のが俺の。

 クローゼットに綺麗に並べて、仕舞って、おしまい。

 あとは、ベッドに寝転ぶタオルだけだ。 昨日使って、洗ったヤツ。

 

「あ」

 ふ、と視線の先。

 洗ったばかりのタオルの、端っこ。 うっすらと、茶色に近いシミが残っていた。

 瞬間、あの匂いが脳裏を満たしていく。

 赤くて、甘くて、暖かくて、気持ちがいい。

「ふふ」

 そのまま、タオルに顔をうずめる。 お日様の匂いと、せっけんの匂い。 それしかしないはずなのに、ここには鉄の香りが漂っていた。

 涼の手、なにかの声、部屋に散らばる色、赤、黒、白。

 またがって、開いて、暴いて、

「っ…、ふ、」

 視界が赤で染まる。

 たまらなくなって、早く伝えたくて、ひらいたスマホに一つ、文字を送る。

 赤いタオル。

 送ってすぐに、既読が付いた。 返事は、待たない。

 だって、涼なら、わかってくれるから。

「なんか、ピザ食べたいかも」

 言いながら、タオルをそっとしまう。

 チーズたっぷり。 赤くて丸いソーセージ。 ベースは絶対、したたるくらいにたっぷりのせたトマト。 

 切って、分けて、手にとる度に、汚れて染まってしまうようなやつがいい。

 時刻は四時をまわった。 きっと、そろそろ涼から返事がくるんだろう。

 その返事を予想しながら、そっと出かける準備をする。

 お気に入りのグレーのスウェットを羽織って、黒いスニーカーを履く。

 この時間に出れば、きっと道の途中で会えるはず。

 玄関前、鍵をかけたその時に、スマホがピコンと音をたてた。

【今日はピザでも食べない?】

【赤いやつ。トマト多めの】

 画面をみて、ふっと笑う。

 返信はしない。

 どうせ、涼も俺も、わかってるから。

 外はさっきよりも風が強い。

 涼までの道の途中に、少し湿った紫陽花が並んでいた。 ピンクと緑。

風に揺れて、水滴がぽつりと落ちた。

 夕日が映って、赤く落ちる。

 通りの向こうに、長身の影が見える。

 コートを翻して、真直ぐにこちらに向かってくる顔は、いつもの優しい笑顔。

 手を振って、走り出す。

 涼が立ち止まる前に、胸の中に飛び込んだ。

 思い切り抱きついて、呼吸をする。

 鼻の奥を

 甘くて、安心する、鉄の匂いが満たしていった。

悠生 朔也

こんにちは、綴り手の悠生 朔也(ゆうき さくや)と申します。 日々の中でふと零れ落ちた感情や、 言葉になりきらなかった風景を、ひとつひとつ、そっとすくい上げています。 この場所では、そんな断片たちを形にして作られた物語たちを飾っています。 完成や正解ではなく、ただ「そこに在る」。 その静かな揺らぎを、誰かと分かち合えたら嬉しいです。

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