私は、人生の半分を【自己否定】に費やしてきた。
小さいころは「可愛いね」とか「将来が楽しみ」だなんて言われていた。
小学校の中半頃になると、私は太りはじめた。
同時に、「可愛い」という存在に憧れが無いことにも気が付いた。
そうして、いつの間にかスカートを履かなくなり、ズボンを掃き、好んで着る洋服はメンズになっていった。
この頃になると、母は私に「可愛く産んであげたのに」と言い、兄は「小さいころは可愛かったのに」と言っていた。
自分の中で、「可愛くあろう」とはしなかったが、「今の容姿を否定」される感覚だけはしっかりと残っていた。
中学高校になると、思春期の合間に、私は変わる事は無かった。
背は高い方。 背格好はがっちりしたタイプで、運動は得意だった。 勉強も、上から数えた方が早いほうでもあった。
その頃は鏡なんて殆ど見る事もなくて、いや、見ても“どうでもよくて”気にしてもいなかったから、自分は“何でもやれば出来て、平均点以上とれるのだから、優秀な方だ”という自信を持っていた。
それでも、私の中に、【見た目への劣等感】は、常にあったように思う。
専門学校に上がる前、それはいよいよ、他者にも評価されるようになった。
浴衣を着て、お祭りに行った日の事だ。
全く知らない赤の他人に「あんたデブだな(笑)」と言われた。
その通りだと思ったが、傷つかないわけでもない。 私はただ、その時は静かに泣くだけで、何も言い返せなかった。
電車に乗ったある日。
見ず知らずのカップルが目の前にいた。
そのうちの女性が私を見て、クスクスと笑いながら、聞こえるような声で言った。
「あいつデブすぎてやばくない?」
これ見よがしにこちらをみて、ニヤニヤしながら、彼氏と笑いあっていた。
その通りだと思った。 初めより、傷は浅かった。
私は泣くことなく、「マウンティンマウンテン乙」と思っていた。
とはいえ、悔しいわけではない。 バカにされて、いい気持をするほど、アブノーマルな嗜好を持ってもいない。
それでも、家に帰って、呼吸が詰まる。
私がお前に何かしたか?
困らせたか、嫌な事をしたか?
邪魔になるような場所にいたか?
お前のその存在自体を、今すぐ直せもしない何かを指摘して
攻撃したか?殴ったか、蹴ったか、命を脅かしたか
息が詰まって、それでも涙は落ちない
つくだけの深い息が、玄関に落ちるだけ
私は自分の見た目を理解している。
人よりも太っているのは間違いないし、公共の場でスペースを取ってしまう事も大変よく理解しているつもりだ。
だから、人一倍、清潔に気を付けている。
服装も、汚くみえないように、少しは“マシ”に見えるように気を遣う。
場所を出来るだけとらないように、肩を縮め、荷物を抱え、縮こまるように、せめて人様の邪魔にならないように気を付けて生きてきた。
疲れはしない。 むしろ、それが当たり前に生きているから、呼吸と変わらない行動でしかない。
同じように、出来るだけいい人であろうと心掛けている。
ルールやマナーを守る。
公共の場では他者を優先し、困っている人がいたら無条件に助けるし、老若男女、偏見も持たずに平等に接するようにしている。
道を譲るのも、空気を読んで先に行動するようにするのも、笑顔で対応するのも、声を柔らかく親しみやすくすることも。
出来るだけ、見た目で劣っている部分を埋める、私なりの生きる方法だからだ。
それでも、鏡を見れば落ち込む。
それだけじゃないと、思う自分は、大抵「一般論」に押し殺される。
正しくは、「一般論を武器にした私」に殺されて、そのへんに捨て去られる。
今日も今日とて、開いたパソコンの真っ暗な画面に映し出された自分の顔に、心底嫌気がさした。 自意識過剰だと重々承知のうえで、それでもうんざりする。
試しに、と、知りもしない化粧なんてものに手を出してみれば、
それはもう、化け物が生まれるのは定石ともいえた。
それでもこうして死なずにいる理由はいくつかあるが、あえてあげるなら、理想の死の為。
私は、文豪と呼ばれるほどの、作家になる。 そうして、理想の家に住み、理想の人生を送り、そうして満足して、死ぬ。
これを叶えていない今。 まだ、こんなことで死ぬわけにはいかないから。
メイクを落として、いつもの顔に戻って。
私は今日も、パソコンに向かう。