名もなき手帳

詩と小説の狭間 —— それぞれの、答え ——

 ―— 自分の作品について思う事。

 どうしても、風景とか五感をメインに書くのが好きで、

 小説の定番の書き方からは逸脱していると思っている。

 だからと言って、詩か?と問われたら、詩でもない。

 詩と呼べるほど、その言葉に風景をのせきった書き方ではない。

 だから、【詩と小説の狭間】そんな、文章が自分の特徴だと思っている。

 ―― 自分の作品のもう一つの特徴。

 それは、結論を描き切らない事。

 

 私は物語のエンディングの先を、考えるのが好き。

 「めでたしめでたし」の、その先。

 たとえば、シンデレラは王子と結婚して、どうなったのか?

 姫としてやるべき作法は知らないし、他国との交流のマナーだって知らない彼女は、きっと苦労したのではないだろうか。

 桃太郎は? 鬼を退治して、金銀財宝を持ち帰り、育ての親に恩返しをした後。

彼は戦いしか知らないし、急な財宝を手にして、きっとそれ目当ての人間がわんさかと湧いたことだろう。 その人間に対して、鬼よりも鬼らしいと思って絶望したかも知れない。

 これは全て、【私の妄想】でしかない。

 同じように、私は自分の作品に、あえて完全な固定した描写は入れていない。

 ある程度のものは書かれていても、その受け取り方までは指定していない。

 それには理由があって、その人の温度で読んでほしいから。

 白の捉え方が違うように

 闇に安寧を浮かばせるのか、恐怖をのせるのか

 赤を愛と捉えるか、血と捉えるか

 “その人なりの解釈”で、読んでほしい。

 正解や間違えではなくて、その人なりの体験であってほしい。

 

 未完成を綴る、でも明記しているけれど

 私の作品は、読者の体験で完成する物。

 スピード重視でも

 優しく説明するでもなく

 それぞれの答えがあるような、そんな作品。

 人によっては、とても不親切かもしれません。

 わからなくても、いい。 それが答えになってるから。

 不思議な形になってもいい。 それも答えになるから。

 そうやって、たった一つの物語が、見る角度で色が変わって、それぞれのオチになってくれたら。

 それが私には、何よりもうれしい。

 想像の余地。

 

 万人向けは、出来ないけれど。

 それが、私の物語だと思うから、続けられる限り、続けていきたい。

悠生 朔也

こんにちは、綴り手の悠生 朔也(ゆうき さくや)と申します。 日々の中でふと零れ落ちた感情や、 言葉になりきらなかった風景を、ひとつひとつ、そっとすくい上げています。 この場所では、そんな断片たちを形にして作られた物語たちを飾っています。 完成や正解ではなく、ただ「そこに在る」。 その静かな揺らぎを、誰かと分かち合えたら嬉しいです。

-名もなき手帳
-, ,