※こちらの作品は、男性同士の恋愛を含んでいます。 また、静けさの奥に潜む痛みに触れる物語です。誰かの輪郭が、過去の陰によって形作られているかもしれません。 読まれる方の心が穏やかである時にそっとお開き下さい
君に出会うまで、この世界は死んでいた。
いつものように鐘がなる。 三時限目の理科の授業が終わった。
周りではガタガタと机を移動させ、その日の楽しみのように給食の準備に取り掛かる。 机を合わせて小さなグループを作る女子。 ただ乱雑に近づけただけで、もう話はじめる男子達。 教師は数人のグループに、給食の準備を指示している。
そのどれもに当てはまらずに、涼はいつもの窓辺の席で、外を眺めた。
外では校庭の木々が赤く色づき、うっすらと爽やかな風が肌を撫でていく。 空には青と白がうっすらと伸び、夏の日差しを遠くに運んでいるようだった。
今日の給食は、ミートソースに、コールスローとトマトのサラダ、ミネストローネ、ヨーグルトのベリーソースがけ。
涼はまず先にヨーグルトにスプーンを刺すと、ぐちゃぐちゃに色を混ぜ合わせた。 白が赤くそまり、やがてピンクになっていく。 それを掬いすると、ぱくりと口に運んだ。
ヨーグルトとベリーの酸味の奥に、じわりと甘味が広がっていく。 口の中でゆるりところがして、こくりと飲みこんだ。
ぼんやりと、外を眺めながら残りの料理を平らげていく。 ミートソースも、サラダも、ミネストローネも、涼の望む赤には程遠い。 僅かに、ベリーのヨーグルトがだけが、心を満たした気がした。
放課後、ランドセルを背負ったクラスメイト達が走って教室を出ていく。 涼は気にもせずに、ゆっくりと身支度を整えた。 視線を動かせば、大人しそうな少女、クラスメイトの一人が、目の前に立っていた。
「あの、鷹村くん。 これ……」
手には薄い青に明るいピンクのハートの封筒が握られている。 ふと視線をまわせば、ドアの奥で数人、女子がこちらを覗いていた。
「ありがとう。 帰ったら、読むね」
にこりと、いつものように笑顔を浮かべる。 貼りつけたように優等生の顔で笑えば、彼らは簡単に騙されてくれる。
帰宅後、養親の元にいつものように挨拶を済ませ、夕食までの間部屋に閉じこもる。 貰った手紙を開けば、かわいらしい文字で好意が綴られている。 涼はそれをみても、瞬きひとつすら落とさない。 そのまま机の中に仕舞うと、ふ、と笑みを浮かべた。
「……うん。 問題なさそうだな」
片親。 母親は男を連れ込んでいる。 居場所の少ない家。 それゆえの、ストレスのはけ口が、クラスでのいじめにつながった。 幸い、彼女を良く思っていない人間は多い。 とりまきの二人も、陰では彼女を貶めている。 あの男は酒に弱い。 あぁ、あぁなんて……
「理想的な家族なんだ」
涼はうっそりと笑う。 窓の外、太陽がゆっくりと傾き、空を赤く染めている。 平凡で億劫な日常に、色が染まっていくようだった。
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黒い服に身をまとった人々が、口々に好き勝手な事を言う。
「かわいそうに」
「母親は何してたのかしら」
夜の仕事、酒、無実を訴えている。 だが記憶は無いと、誰もが囁いていた。
「怖いわねぇ」
その音を聞きながら、涼はポケットに手を突っ込んだ。 すこし尖って、丸い、小さな欠片。 それを指先で転がしながら、彼女の遺影に手を合わせる。 二つの掌の間で、それはコロコロとして、心地がよい。 悲しい顔を貼りつけて、お辞儀をすれば、誰もが憐れむように視線をよこした。 何も知らない哀れな存在は、自分達だというのに。
「父さん、母さん、少し、部屋で一人にしてもらえますか」
二人はそれにこくりとうなずくと、「夕飯、食べられるなら降りておいで」と背中をさすった。 しわしわのその手のぬくもりが、わずかに涼の居心地を悪くさせる。 悲しそうな、無理矢理つくる笑顔で頷けば、彼らもまた、悲しい視線をよこすのだ。
涼は部屋に入ると、そっとタンスの奥に手を伸ばす。 僅かにひっかかる傷に手を添えて、ゆっくりと引っ張る。 キ、という音と共に開かれた奥は、真っ暗な空間だ。
懐中電灯で中を照らせば、きらきらとホコリが反射する。 ホコリと湿った空気が肌にまとわりつく。 その奥には部屋中に置かれた、ナニか。 棚に丁寧に並べられ、博物館のように静かにこちらを見ている。
涼はそこの、僅かな空間に、彼女の欠片を置いた。 白くて、僅かに赤が滲む、小さなそれは、コロンと転がるように飾られた。
それをみて、涼はにこりとほほ笑む。
「ん。これでよし」
日付、名前、その横に、作品の出来栄えを書いて、スケッチブックを閉じる。 今回の出来は、まぁまぁだった。 赤も思いのほかうまく飛ばせたし、何よりも彼女の顔が最高だった。 裏切りと絶望と悲しみと、僅かな希望。 そのすべてが、作品を一段階上のものにしていた。 あの男も、対比として素晴らしかった。 醜悪を形にしたような、歪んだ顔。 酒におぼれて、目が覚めた時の、あの顔。 もっと間近で見たかったが、今回はそれは難しかった。 そこだけが残念で仕方が無い。
総評:完成には遠いが、及第点。
「まだ、まだだな。 決定的に、何かが足りない」
部屋の中央、小さな花瓶の前に座ると、涼はその花に手を伸ばす。 カラカラになった、朽ちたアネモネ。 涼はその花にそっと触れたまま、目を閉じた。
どれだけ寄り添っても、このアネモネは声を返さない。
「いつか、きっと……」
本物の鼓動を、この手で捕まえる日が来る。
そのとき、この空虚はようやく完成する。
涼はうっそりと笑みを浮かべると、朽ちた花に唇を落とした。
その花が応える日を、ただ待ちながら。