物語の額縁 静脈に咲く花

ダチュラの目覚め

 放課後。 これといった部活動もしていない涼は、さっさと教室を後にした。 クラスの誰かの声が聞こえた気もしたが、振り向きもせずにまっすぐ進む。

 高校からの帰り道。 

 校舎を抜け、商店街へと続く道を歩いていく。

 通りには青々と茂る桜の木が並び、その先に小さな赤い粒が並んでいた。 いつか膨らんで、さくらんぼへとなるそれは、まだ薄いピンク色をしている。

 さらりと、甘い香りが肌を撫でていった。

 普段鳴る事の無いスマホが、ポケットで震えた。 涼はそっとその画面を開く。 画面には、緑の枠の上に小さく①と表示されている。 相手は、一人しかいない。

【ぼく、かわりたい】

 昨日設定したばかりの赤いアネモネのアイコンの横には、その一行。

 たった、一行のその文字列に、涼の心臓はきゅっと掴まれた。

 名前を与え、生きる場所を与え、それでもまだ、彼は“涼に変えられる事”を望んでくる。 そのアネモネに、愛おしさと執着が渦をまき、熱が湧く。 わずかに笑った涼の唇から、抑えきれずにふ、と息がもれる。

【わかった】

 それだけ。

 すぐに小さく既読の文字がつく。 それだけ確認をして、涼はそのまま通りの向こうのドラッグストアへと向かった。 色は、もう決めてある。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 玄関を開けると、緋翔は小動物の様に走り寄ってそう言った。 まだ服を買っていない彼は、涼の持っていたグレーのパーカーをチュニックのように羽織って笑う。 目元には小さな黒子が並び、どこか煽情的だった。

 涼はそのまま、そっと緋翔を抱きしめた。 すっぽりとおさまった体は、夕焼けの匂いがして心地よい。 黒くて柔らかい髪が、視界に揺れた。

「夕飯のまえに、やりたいことがあるんだけど」

「?なに? べんきょうする?」

「ううん。 変わりたいって、言ってたから……買ってきたよ」

 がさり、と先程購入したばかりの箱を見せる。 そこにはブリーチの文字と、もうひと箱にはピンクのカラー。

 それが何かよくわからず、緋翔は首をかしげる。 それでも、涼が静かに耳元に告げれば、うっそりと花を開かせて笑った。

「うん。 りょうくんが、おれを変えて」

 

「ほら、乾かすから。 ここに座ってて」

「はぁい」

 ブリーチをして、髪を染めて、気が付けば夕飯の時間もとうに過ぎていた。

 ほかほかと湯気を乗せたまま、緋翔は椅子に座る。 涼はその頭にドライヤーを当てながら、少し傷んだ髪を撫でた。

 ふわふわ。

 指の隙間を滑る、淡いピンク。

 白い肌と、長いまつ毛に、まだ幼さの残る顔に、それはすごく似合っていた。

「ね、かがみみてみたい」

「いいよ。 はい、どうかな?」

 少し離れたところから手鏡を渡せば、緋翔はその大きな両目を開いて、不思議そうな顔で髪に触れた。 右、左、と忙しなく動く頭に、ドライヤーが惑う。 

 遠くに、“はると”が霞んで消えていく。

「すご、いいね、これ。 似合う?」

「ん、すごく。 緋翔って、感じがする」

 まだ乾ききらないそこに、そっとキスを落とす。 鏡越しに、視線が絡んだ。

 視線の奥に、赤がちらついて、甘い香りが肌を侵す。

「ありがと、涼。 俺を作ってくれて」

 弧を描くように細められた視線。 隠しもしない欲望の熱がそこに込められている。 その顔に、どうしても赤を足したくて、涼は自身の指に歯を立てた。

 プツ、と皮膚が避けて、血が滲む。

 指先を口元に運べば、緋翔はそれをゆるりと舐めた。

 彼はそれをゆっくりと飲みこんでいく。 吸って、軽く噛みついて、コクリと喉を鳴らした。 無いはずの感覚が、緋翔の喉を撫でて落ちていく。 その熱は、喉をぬけて、胸の奥に沈んでいった。

「これで、ずっと一緒だね、緋翔」

 緋翔は答えない。

 かわりに、その指に歯を立てた。

 僅かな痛みと、柔らかな感触が指に伝わる。

 言葉より確かに、熱が一つに重なった。

悠生 朔也

こんにちは、綴り手の悠生 朔也(ゆうき さくや)と申します。 日々の中でふと零れ落ちた感情や、 言葉になりきらなかった風景を、ひとつひとつ、そっとすくい上げています。 この場所では、そんな断片たちを形にして作られた物語たちを飾っています。 完成や正解ではなく、ただ「そこに在る」。 その静かな揺らぎを、誰かと分かち合えたら嬉しいです。

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