物語の額縁 静脈に咲く花

ラナンキュラスの愛

 男は目を血走らせながら、ただその顔を歪ませた。

 何か言葉を出そうとしても、きつく止められたガムテープがもごもごと動くだけで、音は鼻の奥で無意味に鳴るだけだった。

 隣には先程まで喚くように声を上げていた女が、横たわっている。 両手に巻かれた太目の鎖の先に、金色の指輪の付いた赤い指先が斜め上に突き出していた。 赤いネイルとはどこか不釣り合いに見えるその指輪を見て、鳳花はぴくりと眉を動かした。

 悲し気に揺れたそれは一瞬だけで。

 鳳花はそれをコツ、とつま先で軽くいじると、うっそりと笑った。 灰色の髪が、ゆっくりと男に向いて。 男が首だけで何かを否定する。

「……偽物ばかりだ」

 そう呟くと、男の顔をそっとその指で撫で上げる。 つ、と爪の先が当たる度に、男がその身体を小刻みに震わせた。 鼻から出る息が、部屋の中に奇妙な鳴き声のように響く。 最早人間らしさの音を無くしたそれに、鳳花は僅かに視線を緩めると、優しく声をかけた。

「ねぇ、ホンモノに、なりたい?」

 その声は低く、男の脳に甘く染み込んだ。 震えていた顔を上げ、男は勢いよくその首を縦に振る。 ぼたぼたと落ちる涙が空を飛び、鳳花のズボンを僅かに湿らせた。 後ろ手に縛られて身動きが取れないまま、彼は縋るような視線で鳳花を見上げる。 そこに、もう一つ、影が現れた。

 黒いフードを目深に被ったその影は、ゆっくりと男の前に立つと、静かにその顔を見下ろした。

 ピンクの髪の間で、大きな瞳が赤く揺れる。

 紅潮させた丸みを帯びた頬が、柔らかく笑って。 はぁ、と息を吐いた。

「緋翔くん。 この人を、ホンモノにしてあげて?」

 その言葉に、緋翔はコクリと頷くと、男の上に跨った。 ぐっと、その腰の上に自身の体重を預け、ゆるりと男の首元に手をかける。

 何をされるのかわからないまま、男はただ恐怖に怯えた顔で緋翔の顔を見ていた。 フードの下の顔は、ひどく煽情的で。 男の喉が鳴った、その瞬間。 緋翔は持っていたナイフをその喉に突き立てた。

 柔らかな肉の後に、ゴリ、と硬いものがずれる。 そのまま横に引き裂き、ナイフを抜いた。 パクリと割れたそこが唇のように開いて、コポコポと空気の泡が溢れていく。 緋翔はそれを指先で拭うと、そっと自身の口に運んだ。

 甘い鉄が、脳を侵していくようで。

 緋翔はそこに指を差し入れると、引き出すようにその肉を抉ろうとして……

「緋翔くん」

 その、静かな声に、緋翔は手を止めた。 見上げれば、鳳花が腕を組みながら見つめていた。 その視線が、静かに否定をしているようで、緋翔はピタリと動きを止める。 

 ビク、ビク、と身体を揺らす男の身体が、次第に力なく床に沈んでいき、やがて動きを止めた。

 緋翔はそれを静かに眺めながら、そっと目を閉じる。 頭の奥で、声が響く。

―― もっと、右。

―― そう。 上にも欲しいな。

―― いいね。 赤をもっと……

「は、ぁ……っ」

 跳ねる水音と、沈む粘ついた音に、緋翔は耐え切れずに喉をさらした。 ぬるついていく掌。 広がっていく鉄の匂い。 生暖かい、感触。

 涼の声が、緋翔に言う。

―― 最高だよ。

「あ」

 ガラリ、とナイフを落とすと、緋翔は自身の肩を抱きしめた。 頭の奥が痺れて、音が遠のいていく感覚。 腹の底から湧き上がる熱を吐き出すように、大きく息をつくと、目の前の赤が、誘うように揺れた。

 緋翔はそれに手を伸ばして、そっと掬い上げる。

 まだ暖かなそれは指の隙間をぽとりと落ちて、また一つの赤に戻っていった。

「ふふ。 いいね。 それこそ、ホンモノの姿だ」

 そう言うと、鳳花は男の伸びた左手に、ゴトリと何かを重ねた。 開いた指先にそれを絡ませて、強く握らせる。 男の指の隙間を、赤のネイルが彩った。

 固く結ばれた掌に、金のおそろいの指輪が光る。 手首だけで、まるで永遠の愛を誓っているようで。 緋翔はそれに、僅かに頬を緩ませた。

「鳳花くんは……しないの?」

「僕? そうだね。 僕の目的は、偽物を排除する事だから」

「偽物……?」

 緋翔がそう尋ねれば、鳳花はただコクリと頷いた。 そのまま重なった指輪にそっと触れると、ゆっくりと笑う。 青白いその指が、胸の前で静かに十字を切って、胸元にあるペンダントを掴んだ。 鳳花はそのペンダントに一つ口付けを落とす。

 その一連の動きに、目が離せなくて。

 緋翔は、じっと鳳花を見つめていた。

 朝の陽ざしが、マンションの窓からゆっくりと部屋の中を照らしていく。

 白い壁。 乱れたテーブル。 割れた食器。

 そのどれもに、赤が咲いていた。

「緋翔くん。 君のお陰で、彼らはホンモノになれたんだよ」

「僕、の、お陰……?」

「そう。 君の、お陰」

 そう言うと、鳳花は緋翔の腕を引き寄せて、そっとその頭を撫でる。 柔らかなその動きに、緋翔は静かに目を閉じた。

 頭の奥で、声がする。

 その声は、いつでも思い出せるのに、どこか遠くて。

 緋翔は、それをどう扱えばいいかわからず、ただ、自身の手を握りしめた。

「大丈夫。 君の場所は、消えてないよ」

 その声は、低く、緋翔の耳に届いた。

 じわりと、脳の中に広がって。

 灰色が視界を奪っていくようで。

 緋翔は、大きく息を吸い込んだ。

 ―― 鉄の匂いだけが、確かな気がした。

悠生 朔也

こんにちは、綴り手の悠生 朔也(ゆうき さくや)と申します。 日々の中でふと零れ落ちた感情や、 言葉になりきらなかった風景を、ひとつひとつ、そっとすくい上げています。 この場所では、そんな断片たちを形にして作られた物語たちを飾っています。 完成や正解ではなく、ただ「そこに在る」。 その静かな揺らぎを、誰かと分かち合えたら嬉しいです。

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