「前向きな考えでいいね」
と、人に言われるたびに、自分のどこかが手招きする感覚がある。
人間の皮を被った、その内側にある自分が、
「そんなことない。 安心するのは、そこじゃない」と、笑う感じ。
外では、前向きでいたい。 これは私らしさだから。 自分で決めた。
優しくありたい。 白と黒で分けるのではなくて、そのグラデーションに居たい。
そんな目線で、いろんなものをみて、受け入れていきたい。
そうやって、生きて、死んでいきたいと思っている。 本音。
その後ろの方に、長く続く影もあって。
そこでもう一人がそっと手招きする。
「そこは明るすぎない?」って。
私は、すぐそっちに向かってしまう。 光に照らされた影の、ずっと濃い場所。
そこに立ってみると、すごく息がしやすい。 落ち着く。 安心する。
そこから見る、かつての自分。 背中にデカデカとエゴと書かれている気がする。
それでも、その姿を疎ましいとは思わないし、見たくないとも思わない。
それも、自分で、決めた生き方だから。 嫌いじゃない。
昔から、暗い所が好き。
人間の内側にある本能的な部分が好き。
皮膚の内側に流れる血も、肉も、骨も、好き。
悪意も、絶望も、あってこそ、得られるものもあるから。
幸せの形が、人には定義出来ないのと同じように、
不幸の形だって、人には定義できないから。
中立が居心地よかったりする。
昔いじめられていた、らしい。
でも、気にしてなくて、自分は別に一人で給食を食べるのも楽しかった。
辛いと思った事はない。 なんなら、少し心地よささえ感じていた。
クラスの女子の母親が言った事。
「うちの娘は、優しいから、気になるんです」
しかし、その子が私に話しかけてきたことはない。
偽善だな、と思ったが、母親の「娘の理想」を考えると、そう言い切るだけにもいかない。 その子も、もしかすると母親の重圧に耐えていたかも知れない。
母親も、そうあるべき理想と、現実に悩まされていたかもしれない。
言葉だけでは、その裏まではわからない。 それでも、当時の私は「偽善者」ほど、薄情な人間はいないと思った。
ちなみにその子とは、その後も話したことはない。
人と感覚が、違う。 というより、マイナー。 今風ならマイノリティ?
暗い所が落ち着く。
すみっこが好き。
閉所に安心する。
カビ臭い地下室が、居心地がいい。
同時に、
夕日が好き。
カラッとした天気に干す、洗濯物が好き。
日差しを沢山浴びた、柔らかい猫の匂いが好き。
無自覚な親切が好き。
ふとした優しさが好き。
春の柔らかい陽射しと、風が好き。
私はいつも、行き来する。
明るくなり過ぎたら、暗く。
暗くなり過ぎたら、明るく。
人に理解されなくても、これが自分だと、自信をもって言える。
私は、光と闇の間を行き来する。
ありたい自分の光と、自分らしい闇と。
それこそが、 「私」であり、 私なりの「祝福」だ。