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香るクリスマスローズ

「え?」

 その言葉を聞いた瞬間、緋翔はきょとん、と目を丸くした。

 もとより大きなその瞳は艶やかに、いまにも零れ落ちるのではないかと言うほどに開き、そのガラスの様な瞳にほほ笑む涼を映している。

 柔らかな輪郭をなぞるように揺れたピンクの髪が、ぴょこりと跳ねる様に頬を撫でた。 背後には閉じたままの窓が、その冬空を映している。

 雲はまばらに、真っ青な、どこか透度の高い色をした空に、小さな飛行機が通り過ぎて行った。

「クリスマス、どこに行きたい?」

「くりすます……???」

 その言葉に、緋翔はきょとりと、やはりその首をかしげて、何が何だか分からないといった様子だった。 涼ははた、と気が付く。

 当たり前のようにこの季節になれば、受験に騒ぐクラスの中でも「クリスマス」という単語が飛び交っているのが日常であった。

 塾に通う生徒たちはその日は予定があると嘆き、すでに進路が確定している生徒はその日を“高校最後のクリスマス”として盛り上げようと話している。 涼は、そのどちらでもなかった。 進路は決まっているが、今の今まで、クラスでこのような浮ついた会話をする事はなかったし、何より、その必要を感じた事はなかった。

 それでも、ふと、家で毛布にくるまりながら窓の外を眺めるピンクの小さな頭を思い浮かべて、涼は一人、スマホに指を走らせた。

 

 クリスマス、静か、穴場。

 そうして、どこか浮かれた気分のまま帰って、冒頭への緋翔へと戻る。

 そして、緋翔に“クリスマス”が当たり前ではなかった事に、思い当たった。

 これは、それなりに浮かれていたのだと、涼は自分に小さく笑う。

「クリスマスは、そうだな。 楽しい時間を過ごす事が公に許されている、特別な日、ってところかな? プレゼントを交換したり、美味しい食事をとったり、大切な人と楽しい時間を共有する。 そんな日だよ」

 本来の説明としてはかなり不十分であることを、重々承知したうえで、涼はそう告げた。 キリストの降誕祭だの、由来がキリストのミサだの、収穫を感謝するお祭りと同時に行われるなどと言われたところで、現代日本における解釈とは一致しない。

 そもそも、目的はそこではないのだから、今回の説明としては、先の言葉で十分だと、涼は考えた。

「ちょっと、流石に知ってるよ! サンタさんが来る、あれでしょ?」

 そう言われて、涼は「おや」とその眉をあげた。 あれからそれなりに理解してきたと思っていたが、緋翔にはまだまだ、涼の知りえていない部屋がいくつも置かれているようだった。

 少しバカにされたように感じた緋翔は、その頬を膨らませ、下から僅かに睨むように涼を見た。 それでも、サンタに“さん”をつけるところに、涼は緋翔の幼さと純粋さを感じて、頬を緩ませた。

「ごめん。 なんか、不思議そうな顔してたから」

「それ、は…その。 少ししか、知らない、から…… 出かけたり、するものなのか、わからなくて」

 少しだけ視線を落とし、緋翔は過去に体験した僅かなクリスマスについて話し出した。

 家には大きなツリーがあって、母親と飾りつけをした事。 そのてっぺんに付ける星は、いつだって手が届かなくて、帰ってきた父親に持ち上げてもらって、緋翔が付けるのが定番であったこと。

 長い時間をかけて作られた母の手料理と、部屋中に飾られた星や靴下、ちいさな灯のついたコードたち。 暖かな部屋と、豪華なケーキ。

 母は決まってチョコレートドリンクを入れてくれた。 少し甘すぎて、舌に残る感じがするそれは、どこか特別で。

 緋翔は、手の中のココアを、一口、飲みこんだ。

 その夜は決まって早目に寝かされて、目が覚めると枕元にあるのは、決まって緋翔の望んだ、おもちゃが置かれていた。 それを持って両親に報告をすれば、二人は笑って、抱きしめてくれたこと。

 そこで緋翔は一度息を吐いた。

 ココアの香りの後に、苦みが微かに揺れる。

 言葉にしなくても、涼には分かっていた。

 事故以降、緋翔から、クリスマスが奪われた事を。

「日付とか時間の感覚もなかったから、よく、覚えてないけど」

 そう言葉を閉めて、緋翔はうっすらとその視線を窓の外に向けた。

 変わらない空が、ただ真直ぐに広がっている。 点々とした白い雲はわずかに形を変えていた。 それでも変わらず、冷たい冬の昼間が世界を見下ろしている。

 緋翔は手に持っていた暖かなココアを一口飲むと、ふ、と小さく笑った。

 どこか諦めたような、何かを思い出すような、そんな視線はすぐに消えて、涼を見つめたその顔には、嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。

「涼となら、俺、どこでもいいよ」

 ニヒ、と歯を見せたその顔に、涼は胸の奥を掴まれたような気がした。

 それと同時に、先程の自分に、刃が向く。

 一瞬とはいえ、あの、過去を思い出すような顔をさせた自分を、殺してしまいたかった。

 涼はその手を、強く握るしかなかった。

 指先が掌に刺さり、熱くなる。

 涼は深く、息を吐いた。

「じゃあ、ツリー、買いに行こう。 それから、飾りと、ケーキと、ターキーも買って。 二人で別々にプレゼントを買おう」

 涼は言いながら、まだ熱の残る掌を緋翔の頬に添えた。

 柔らかな頬の感触が、ゆるやかに涼の心を満たしていく。

 静かに、赤く、それは心臓を柔らかく包み込んだ。

「二人で用意して、二人で、プレゼント交換をしよう。 好きな映画を見て、遅くまでゲームして遊ぼう」

 緋翔はその言葉に、嬉しそうに笑うと、涼の手に自分の手を重ねた。

 先程まで持っていたココアの熱が、涼の手の甲を温める。

 見つめた涼の目には、キラキラと嬉しそうな緋翔の両目が、透明な空よりも鮮やかにそこに映っていた。

 プレゼントを開ける前の子供のような表情で、緋翔は笑い、涼も笑った。

「ね、星は、俺がつけるからね。 今なら、きっと、一人でも届くから」

 ふふ、と誇らしげにする緋翔に、涼は意地悪くほほ笑む。 どうせなら特大の物にしよう、と、その心で呟いた。

 そうして、緋翔を持ち上げるのだ。

 届かなくて悔しそうにする彼の脇に手をかけて、そのてっぺんに星をつけさせてあげる。

 すべての緋翔の過去を、自分の色に塗り替える様に。

「うん、もちろん」

 うっそりと口元を緩ませてそう答えれば、緋翔は満足そうに笑った。

 外の空に、雲はない。

 ただ真っ青なまでの空が、冷たく透明に、二人を包み込んでいた。

緩やかに傾く太陽が、その端を僅かに赤く染めながら。

悠生 朔也

こんにちは、綴り手の悠生 朔也(ゆうき さくや)と申します。 日々の中でふと零れ落ちた感情や、 言葉になりきらなかった風景を、ひとつひとつ、そっとすくい上げています。 この場所では、そんな断片たちを形にして作られた物語たちを飾っています。 完成や正解ではなく、ただ「そこに在る」。 その静かな揺らぎを、誰かと分かち合えたら嬉しいです。

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